露を吐く

好きか嫌いかで言ったら

手紙

僕はどうも、人へ手紙を書くという行為が苦手なようだ。
寄せ書きしかり、お世話になった人へのメッセージしかり、どこか苦手意識がある。ちょっとした雑談、前もって考えていた内容を人に伝えるのは得意だが、感謝の気持ちを述べようとするとどうも言葉が出てこない。
おそらく、そこから出てきた言葉に自分自身でチープさを感じる。

となって深くものを考えてみると、俺の中からどうも、「感謝」というものが抜け落ちてしまったように感じてしまう。
「ありがとう」この言葉はすんなりと口から出てくるのだけれど、いざ具体的に「なにが」と聞かれるとどうも言葉に詰まる。場合にもよるか。例えば道を譲ってもらった、ドアを引いてもらった、そんなときは具体的に説明できるだろう。しかし、先生などになるとどうも言葉が詰まる。
そもそも感謝の気持ちを持っていないのではないだろうか。
ということは、この場合、自分の気持ちを人に伝えるというよりも以前に共有したモノを書いていけばいいのではないだろうか。
手紙を書けない、というのはつまりそういうことだ。伝えたい気持ちがないのに手紙を書く、というどこか矛盾した行為そのものに行き詰まってしまっているのだ。
では、考え方を変えてみよう。感謝する文言を書こうとしなければいい。
最初からその人を思い浮かべて、思うことを書けばいいのだ。
考え始め、ペンを手に取れば、勝手に筆も乗っていくだろう。

そんなことを考えてもだめだった、この文面を人に見せるというのはどこか恥ずかしさがある。
思ったことをそのまま書くという行為は得意なのだろうけど、自分の裸を見られているような、そんな気分になる。